3段昇って2段降りる

アウトプットのための1つとして・・・・・・一生続くかもしれないし、明日終わるかもしれない

1冊目「はじめに子どもありき」

さて、新年明けて2日目になります。みなさんいかがお過ごしでしょうか?ぼくはユニクロとワークマンに服を買いに行ってきました。どうも、階段です。

 

今日はブログ2記事目ということで(どんなことなのか)書評をしたいと思います。書評っていう書き方はもはやカッコ良すぎる。ただの感想ですね。

 

今回の本はこちら

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平野朝久先生の「はじめに子どもありき」という本です。この本はつっち〜@tuchiblankaさんに譲って頂きました。

 

元々気になっていた本ではあったのでスイスイ読めました。

 

子ども観を変える

平野先生はさまざまな実践、方法、施設がどれだけあろうと子どもたちが自ら学んでいく「能動的学習者」であるという子ども観がなければ、どこがで頭打ちしてしまう、と言っておられます。

自分もやっぱりどこかで「子どもは指示しなければいけない」「教師が導かなければいけない」という感覚がどうしても捨てられません。まずはそこを変えていくことから始めていかなければ……

 

満点主義ではなく零点主義

こちらも先程の子どもに対しての関わり方・見方の話に近いです。我々教師はどうしても失敗に目が行きがち……

それはやはり「失敗を正してあげなければ……」という気持ちがあり、それが教育だとさえ勘違いしてしまうことが、自分はあります。それは満点主義の考え方です。100点の正解があって、それに到達していない部分があるから、指導してしまいます。つまり99点でも、1点のミスがあるとそれは、指導対象となってしまいます。(実際は1点くらいではなんともないと思いますが……)

10点しか取れない子がいたとしても、その10点分は取れるようになっているわけです。その10点分を認めてあげることが大切なわけですね。引き算思考ではなく足し算思考でいきたいものです。

 

子どもと共に創る授業

教師は答えを知っているし、それを教えます。というか教えたいです。でもそこに追究の情熱ってないんですよね。教師が追究の情熱をもっていないと、子どもと向いている方向が違います。もちろん、子どもに助言や手助けはすべきですし、答えを知っているものとしての動きはしていくべきです。

ただ、ここで忘れてはいけないのは結局、教師も同じ課題を追求していくものであるというスタンスです。同じ教材・課題であっても、教師が追究者のスタンスであれば、常に新しい発見や気づきがあります。それこそが「子どもと共に創る授業だ」と書かれていました。眼から鱗。

 

最後に

ぼくはやりたい実践にあふれていて、すぐに飛びついてしまいます。いわゆる「実践のパッチワーク」になってしまいがちです。それはたとえばTwitterなどで、キラキラした実践報告を受けるのが、一つの理由だと思っています。「〜をすれば子どもたちが自分たちで動き出しました!」「〜によって、主体的に子どもたちが学んでいます!」「〜の実践は誰でも可能です!」などなど……

ただ、そのキラキラに惹かれて実践をしたり、詰め込んだりするとどうしても失敗することが多いんですね、不思議と。やっぱりどんな実践も目の前の子どもにフォーカスをあてないと失敗してしまいます。こんな当たり前のことをつい忘れてしまうぐらい、あのキラキラは強烈なんですよね笑(ぼくだけかな?)

 

ただ単純に目の前の子どもたちと泥臭く進んでいくのが1番の近道なんですよね。急がば回れ、なんでこのことを忘れるんだろうなぁ……

 

自分はそのキラキラにすっごく惹かれやすいし、新しい物好きです。ハッキリと自覚があります。だから、この本を読み直すことで、バランスを取っていかないといけないなぁ、と思います。

「実践ありきになってるなぁ……」「子どもと自分の熱量に差がある」っていう人は是非読んで下さい!!

では、今日はこのくらいで!!