1冊目「はじめに子どもありき」
さて、新年明けて2日目になります。みなさんいかがお過ごしでしょうか?ぼくはユニクロとワークマンに服を買いに行ってきました。どうも、階段です。
今日はブログ2記事目ということで(どんなことなのか)書評をしたいと思います。書評っていう書き方はもはやカッコ良すぎる。ただの感想ですね。
今回の本はこちら
平野朝久先生の「はじめに子どもありき」という本です。この本はつっち〜@tuchiblankaさんに譲って頂きました。
大掃除、本棚の整理中。どれもオススメの本なので必要な方に届くといいなと思ってます😆興味ある方はDMください!メルカリでの取引を考えてます!写真1枚目の本は送料負担程度で😇
— つっち~🌪️私立小の先生📮📚️ (@tuchiblanka) December 28, 2019
メルカリやってないよって方は招待します。それ使えば招待ポイントで購入していただけるので実質タダ的な😂#断捨離 pic.twitter.com/6eYTmXXJVc
元々気になっていた本ではあったのでスイスイ読めました。
子ども観を変える
平野先生はさまざまな実践、方法、施設がどれだけあろうと子どもたちが自ら学んでいく「能動的学習者」であるという子ども観がなければ、どこがで頭打ちしてしまう、と言っておられます。
自分もやっぱりどこかで「子どもは指示しなければいけない」「教師が導かなければいけない」という感覚がどうしても捨てられません。まずはそこを変えていくことから始めていかなければ……
満点主義ではなく零点主義
こちらも先程の子どもに対しての関わり方・見方の話に近いです。我々教師はどうしても失敗に目が行きがち……
それはやはり「失敗を正してあげなければ……」という気持ちがあり、それが教育だとさえ勘違いしてしまうことが、自分はあります。それは満点主義の考え方です。100点の正解があって、それに到達していない部分があるから、指導してしまいます。つまり99点でも、1点のミスがあるとそれは、指導対象となってしまいます。(実際は1点くらいではなんともないと思いますが……)
10点しか取れない子がいたとしても、その10点分は取れるようになっているわけです。その10点分を認めてあげることが大切なわけですね。引き算思考ではなく足し算思考でいきたいものです。
子どもと共に創る授業
教師は答えを知っているし、それを教えます。というか教えたいです。でもそこに追究の情熱ってないんですよね。教師が追究の情熱をもっていないと、子どもと向いている方向が違います。もちろん、子どもに助言や手助けはすべきですし、答えを知っているものとしての動きはしていくべきです。
ただ、ここで忘れてはいけないのは結局、教師も同じ課題を追求していくものであるというスタンスです。同じ教材・課題であっても、教師が追究者のスタンスであれば、常に新しい発見や気づきがあります。それこそが「子どもと共に創る授業だ」と書かれていました。眼から鱗。
最後に
ぼくはやりたい実践にあふれていて、すぐに飛びついてしまいます。いわゆる「実践のパッチワーク」になってしまいがちです。それはたとえばTwitterなどで、キラキラした実践報告を受けるのが、一つの理由だと思っています。「〜をすれば子どもたちが自分たちで動き出しました!」「〜によって、主体的に子どもたちが学んでいます!」「〜の実践は誰でも可能です!」などなど……
ただ、そのキラキラに惹かれて実践をしたり、詰め込んだりするとどうしても失敗することが多いんですね、不思議と。やっぱりどんな実践も目の前の子どもにフォーカスをあてないと失敗してしまいます。こんな当たり前のことをつい忘れてしまうぐらい、あのキラキラは強烈なんですよね笑(ぼくだけかな?)
ただ単純に目の前の子どもたちと泥臭く進んでいくのが1番の近道なんですよね。急がば回れ、なんでこのことを忘れるんだろうなぁ……
自分はそのキラキラにすっごく惹かれやすいし、新しい物好きです。ハッキリと自覚があります。だから、この本を読み直すことで、バランスを取っていかないといけないなぁ、と思います。
「実践ありきになってるなぁ……」「子どもと自分の熱量に差がある」っていう人は是非読んで下さい!!
では、今日はこのくらいで!!